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運動空間#1
運動空間#1
2001年12月8日(土)/15日(土)
名曲喫茶ヴィオロン

宗方 勝 [テキスト、演出、音響、美術] 柴田 貴輝 [出演] 藤原 勝 [企画、製作]
小川 永子 [出演] 栗原 アタ [出演]

action-space 01 について
まず、今回の演目”運動空間01”は、演劇が”演劇”にすぎないことに自覚的な作品である。演劇が、演劇にすぎないと自覚すること。それは、語りによって隠蔽された虚構性を暴くこと、虚構性を観客に気付かせること、もっと言うなら、虚構性に気付いた観客が同時代の問題系への認識を持つことなどである。これらは、モダニズムの演劇人たちが高らかと掲げた理念であるが、すでに、笑いを誘発させるための常套手段になるまでに定着している。と言いつつも、演劇を製作するためには、それが演劇であると自覚せねばはじまらない。よって、本作品では、演劇の”始まり”が宣言され、”終わり”が暴露される。この二項対立のなかに、閉じこめられているものは何だろうか?
それは、時間と空間である。演劇に限らず、”始まり”と”終わり”を想定/設定することで私たちは、意図も容易に、時間と空間をその間に圧縮することができる。そもそも虚構性とは、この巧みな圧縮術に由来しているのではないだろうか? この圧縮術を2次元変換とするなら絵画を、光学的2次元変換+モンタージュとするなら映画を連想するのは、決して飛躍した類比ではない。そうなると巧みな圧縮術は、ジャンルごとの言説ということになるのだが、本作品では、これらの圧縮術(=言説)について、”始まり”と”終わり”で括った演劇なるもののなかで、いかに参照/言及できるかが主題設定のひとつとなった。 劇中の登場人物のセリフに、”なにか瞬間というものに思いをはせてしまうわ・・・・”とある。”瞬間”というものは、2次元のメディア(絵画、写真、映画)によって生まれた認識のはずだ。これらの時空間圧縮という言説が、実際には何を圧縮していた/いるのだろうか?(text:fujihara)
運動空間#1
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