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運動空間#2
運動空間#2
2002年5月25日(土)/26日(日)
movementspace Gambetta ムーブメントスペース・ガンベッタ

宗方 勝 [テキスト、演出、ナレーション] 藤原 勝 [音響、制作]

土田 秀吾 [美術] 竹内 明香 [ナレーション、人形製作] 尾上 京 [協力] 柴田 貴輝 [制作助手]
永島 雄三[出演] 大貫 恵巳[出演] 太田 政之介[出演]

運動空間#2について
宗方 勝
今回、死という事に対する、自分の今の時点での考えを作品として書いてみた。そもそも死そのものは絶対である。それゆえに、平等で、単純で、かつ否応なく背負い込んでいる宿命である。人を日々恐れるもの、不安なことに追い込んでいるのかというと、死に方の問題なのだと思う。
突発的な事故などは社会に生きている上で致し方ないと思わざるを得ない。しかし、「お前はこうであるから」とか「こんな類の人間だから」といった理由で死を強要させられるのだけはごめんである。
そのような事を抑圧的な力で押しつけようとする対象にたいしては、それこそ死にものぐるいで抵抗する。そんなことを思いながらテキストを書き上げようとペンを取ったとき、ふとこんなことが脳裏をよぎった。その個人にはどうしようもない事-それは不条理ということか-その事こそ他者性というものであって、そんな他者との関係という場所に遭遇するとき、人間はどう反応して生きるのだろうか。
もしかしたら、目の前に転がる死体の脇をひょうひょうと生活し、死と向き合いながらもしぶとく、そして明るく前向きに生を享受し生きるのではないだろうか。そしてもう一つ他者性という概念の大きな要因の一つとは、表象不可能な領域にある何かでもあろう。もちろん演劇においてその表象不可能な領域を顕わすのは不可能ではある。(それらを顕わそうと先人たちは苦心した。)
しかし、せめてその領域のゲートの前で、たじろぎ、絶望にさいなまれ、己を笑いとばしながら(このときの笑いというのは生ぬるいものではないだろう。)いやがおうにも与えられた生をまっとうし生きていく以外ないのが、「生きること」ということではないだろうか。
運動空間#2
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