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WORKSHOP
bug-depyase第2回ワークショップについて
今回のワークショップでは,物語をよりどころとしない作品創作を捉え直すこと を目的として,参加者それぞれのイマジネーションの研磨を中心に行います。参加者それぞれのイマジネーションを抽出し,それらを空間に放り投げた状態か ら,それぞれの関係性を構築し,空間を作り上げてみようという試みです。作品 創作という完結したプロセスに縛られないため,とても実りある現場になるので はないかと考えています。
参加者それぞれの思考の転機,創作における視点の広がりなどに結びつけば幸いです。

日時:2006年3月18日(土) 18:00~22:00
場所:西荻北児童館 遊戯室(洋室)

ワークショップを終えて
空間の構成ということをテーマにし、ゲーム形式で参加者の人たちと行いました。内容というと
1~99
100~999
1000~9999
10000~99999
とグループ分けして

各自はそのカテゴリーの数字しか言ってはいけません。

そして空間の中で他者の表現(動き・発声・数字etc)との関係性を構築しつつ、空間構成をしていきます。

各自が内面性に捕らわれているようでは、相手は見えず、ひとりよがりになり、
空間は雑多になるだけです。
(もちろん始めは雑多の状態からはじまってしまうのですが)

俯瞰のまなざしとまではいいませんが、想像力とでもいうのでしょうか、客観的認識とでもいうのでしょうか、これらの思考がなければうまくいかないでしょ
う。(それは演出家がミテクレルカラといわれてしまえば何もいうことはありませんが)

もちろん空間が構成されていくときの関係性の中で、呼吸・他者を読み取る力も大事な要素です。

おもしろいのが、やはり人間は「慣れる」のでしょうか、何回かやっていくうちに、各自を認識しやすくなるんでしょう。
早い時間の内から空間を各自が構成しやすくなってくるのです。(これっていわゆる「稽古」を重ねると「息」が合うのと同じ現象ですよね)しかし、遅れてき
た参加者がゲームに入ると途端に構成しにくくなる。遅れてきた参加者がいい感じで「荒らし」てくれたのです。そうすると身体はシビアです。
遅れてきた参加者から遠い地点で、他の参加者がかたまり距離をとりつつ、その「荒らし」の参加者との呼吸を計ろうとする。要は他者を認識しようとするんで
すね。「他者に対して想像する」といってもいいのでしょうか。これが今回のテーマが如実に現れた瞬間だと思いました。

そしてその認識した上で、想像という「賭け」を投じる。ギャンブルみたいですね。イマジナリーが空間上に発ち現れてくれるのか、それは認識されうる形として構成され、さらなるイマジナリーを他者にうみだせるのか?それとも中途半端に空間が連鎖され、「起爆剤」的な身体を只待つだけなのか?
これはある種「公共性」との問題群や、人間関係学などの社会学の領域で言説されるような問題群が現象化されたきがしました。
もちろん空間構成としてこれらのおもしろい距離感が形として発ち現れてくることこそが「空間が発ち現れた」ということでしょう。
そう考えるとこのWSで他者との物質的距離感っていうのも結構大事だなあとおも思いました。
まあ、肉迫するような距離感も舞台では受けますがね。今回このようなWSを行って、各参加者が「身体」が「在る」ということの倫理性をシビアに受け止めてくれたら幸いです。
個人的な意見ですが、舞台に立つということや、舞台表現を行うということは、この身体の倫理性を厳しく捉えなければ人々に何かを感じ取ってもらうことなどできないと思っています。
もちろん人は存在している以上、舞台だろうが自分の部屋だろうが、駅のホームだろうが、身体の倫理を無条件に背負っているものなのですから、あえて「舞台」でということが舞台芸術を表現媒体として行っている者のおごりであることは承知の上なのですが。。。いつも僕はこのおごりの上で何かを表現していると思ってしまうので、何に?誰に?かは分からないですが申し訳なく思ってしまいます。その点で古臭いといわれるようなモダニストだと思う自分に、絶望からその先を歩んでいるような、ニヒリズムにも似たポストモダニストへの多少のジェラシーは否めません。